2021.4.5 再検査、決断の日。
さて、発症から5日目。再度検査のため病院へ。
"最近気合入りすぎてたかな〜と自分を癒すために土日はしっかり休んだし、
今日経過見てもらって薬で徐々に治す感じかな。。まあ、木曜日くらいには仕事復帰するか〜。”
くらいに思って向かいました。
先生
「今ね、点数で言うと、10点。ギリギリ不全麻痺って感じかな。後一点でも下がれば完全麻痺で入院かなぁ。発症から一週間はどうしても悪くなるから今この状態だと、一応入院のつもりでいた方が良いかもしれない。顔だし、しっかり直した方が良いでしょ?」
”え?!入院?!!!!”
そんなに悪いのかーーーーーーー!!!どれだけすすれないんだろうってうどん頼んでる場合じゃなかったーww
状況は思ったより深刻でした。。。
先生
「次の8日にちょうど一週間になるので、その日に再度様子見て入院かどうか判断しましょう。でも、ご自身でもう入院したいと希望されても良いレベルではあるので、8日を待たずに早めに来てもらっても大丈夫です。」
私
「わかりました。そうしたら、一応心の準備はしておきます。だいたい入院ってどれくらいですかね??」
先生
「まあ、2週間くらいは入院になるでしょうね。」
”に、にしゅうかん・・・・!”
イカ、二貫!くらいの衝撃です。
というわけで、あっさり入院の可能性を宣告されましたーー。
いや、人生何が起こるかわからないですね。。
こんな感じてポップに話してますが、実はこの時の心境としては結構追い込まれてました。自分の病状ってそんなに深刻だったんだっていうことと、一人暮らしだし仕事も医療費もどうしようなどなど・・・不安でいっぱいのまま帰宅しました。。
帰宅途中に雨が降ってきて、余計に悲しい気持ちになったのを覚えてます。
帰宅後、理解ある会社の人事の方に相談していると、たまたま会社で同じ病気の経験者がいることを知り、すぐに相談しました。
会社の経験者
「僕は発症してその日のうちに顔半分が全く動かなくなって、翌日からすぐ入院でした。2週間くらいだったかな。病状的に僕と同じだと思います。もしお医者さんが良いというなら、早く入院してしまった方が良いと思います。というのも、ステロイド治療は効果がある期間が限られているみたいなんです。」
なるほど。善は急げってことか。
この人に相談するまでは、この世の終わりみたいな気分でしたが、冷静にアドバイスをもらえたことで、すんなり腹落ちできました。
それと同時に、明らかな自分の異変に気付きながら"まだ大丈夫"と、病気を正面から受け入れることができていなかったことにも気付きました。
この時初めて、私は病気でちゃんと療養が必要な体なんだ、と受け入れることになりました。
さて、覚悟を決めたら最後。下がり切ったら後は立ち上がるだけです!
とりあえず、入院グッズと最後の晩餐を買いに行きました。
ちなみに最後の晩餐は、
すき焼き
でしたー。おいしかった。
私の病気だと特に食事制限とかはないんですが、
すき焼きをチョイスした理由はちょっとしめっぽいです。
入院して今、改めてこのすき焼きの話に出てくる伯父と、私自身の病気と向き合い、
健康とか食とか、人生とか、そういうことに目を向けていくことになるのだけど、
今日は最後の晩餐のすき焼きにまつわるエピソードで終わりにしたいと思います。
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一年ほど前、ずっと糖尿病を患っていた伯父が心臓発作でこの世を去った。
伯父は生まれも育ちも富山県。結婚もしておらず、もちろん子供もいなかったので私や兄のことを自分の子供みたいに可愛がってくれていた。
正直自分の父親とあまり上手く関係を築けていなかった私にとっては、父親より私を可愛がってくれる、そんな存在だった。
伯父はとにかくグルメな人だった。小さい頃から、私たち兄妹を美味いものに出会わせてくれるのは、伯父の役目だ。
そんな伯父は10年以上前、あと一歩で会社のトップというタイミングで糖尿病が発覚し、仕事一本で生きてきた彼の出世街道はあっけなく終わりを告げた。
それからというもの、年齢と共に体も弱っていき、最後に会ったのは2020年のお正月。
何となく弱々しく、でも、ここぞとばかりに予定を詰め込もうとする伯父を見て、
心のどこかに不安を覚えた。伯父の家を出発する時に車の窓から見た、伯父の最後の顔。
"もう会えないのかな”
その2か月後、伯父はあっさり、突然にいなくなった。
母から訃報を受け、急いで母を連れて車で富山に向かった。
こんな水分がどこにあったんだというほど、
私の目からは、水がこぼれ落ちた。
深夜、伯父の実家には近所の人が待機してくれていた。代わりにそばにいてくれたようだった。
今日初めて会うその人たちの顔を見て、
"ああ、死んだんだ。"
そう理解した。
その日、伯父は2日に1回の透析に向かっていた。
帰ってから食べる予定だったコンビニのホットスナックはテーブルに置かれたまま、伯父の帰りをまだ待っていた。
伯父はグルメだった。美味しいものが大好きだった。
最後に美味しいものたくさん食べて死んだんだろうか。これだけは食べたいってもの、ちゃんと食べたんだろうか。
好きなものを自由には食べられないで終わった人生は、
伯父にとって楽しかったろうか。
そんなことを時々考える。
翌日、仕事を終えた兄もかけつけた。
私たちにとって、富山のこの家はいつも明るい、伯父に会うための場所だった。
ー今はもう何の声も聞こえない。
長期休みで遊びに行った時はいつも、夜寝静まる頃、急に部屋の扉を開けて
「明日は早いぞ。」と、話しかけて眠りの邪魔をしてくる。
一番早く起きるのに、一番最後まで起きている。
いつも、私たちが遊びに行く何ヶ月も前から、旅行の計画を立てて楽しみに待っているのだ。
空っぽで、もう用のなくなったようなこの家で、
私は最後に伯父にすき焼きを作った。
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